鎌倉街道上道裏返し 高崎から山名2

2023年1月8日(日) 徒歩・根小屋~金井沢碑~高崎自然遊歩道~根小屋城址~山上碑~山名八幡・上信電鉄山名駅~高崎駅~中浦和

帰路・上信鉄道から佐野橋を臨む

■上野三碑の金井沢碑へ

丘陵を登り金井沢碑を目指す。石碑は朝鮮等の外来文化とされ、上野のこの地区に需要な石碑が3碑あることから、この地区に渡来人の入植があったものと考えられ、金井沢碑はその内容からこの地区での仏教の広がりも確認できるものとなっている。ちなみにこの碑は刻まれた文字から726年と奈良初期のものである。日曜なので案内のおじさんも常駐している。(自分もおじさんだが。)石碑は風化を避けるためにコンクリートのしっかりとした建物の中で展示されている。

■高崎自然遊歩道経由で山上碑へ

金井沢碑をあとに、さらに丘陵を登り高崎自然遊歩道へ。山上碑と山名八幡を目指す。この道は一応鎌倉街道の扱いになる。しかしこの丘陵では石炭が採れたため、掘り返されておそらく昔の原型はとどめていないだろう。残念だがその石炭は富岡製紙工場の燃料になっていたようで、日本の近代化のことを思うとやむなしという感じだ。地図上ではたいした距離ではないのだが、一応山道なので進むには時間がかかる。冬なのに汗でだくだくになる。ヤッケのベンチレーション開いておくのを忘れていた。途中で根小屋城祉に寄る。信玄が利用していた狼煙台があったらしく高崎市街の向こうの山々まで見通せる。こうやって見るとなかなか良い街である。

根小屋城祉からの高崎市街

■山ノ上碑へ

山上碑は681年が刻まれ、3碑の中でも一番古い。日本語順の漢字の配列で一番古い資料との事。僧である長利の母の供養と、自らの系譜が刻まれたもので、隣の古墳はその母を弔ったものであるらしい。この一族は先の金井沢碑を建てた一族の祖先にあたる。なお、古墳前の道は鎌倉街道筋です。碑からの坂道を下って、先の古道筋へ左折する。しばらくすると平地になるのだが、この辺は高台で見下ろす景色の素晴らしいこと。

■山名八幡へ

先の道興准后も訪れた山名八幡。私は前回も訪ねているが、ここは何度でも来たい場所である。社はアトキンソンの小西工芸の手によって美しくよみがえり、参道の上には上信鉄道が走っている。平日であれば神社には地域のコミュニティセンターのようなものが稼働している。山名の名は応仁の乱の山名宗全の祖である山名義範の造営で新田の血筋になる。

■テツ旅

帰りは上信鉄道の山名駅から高崎へ。基本的に今日歩いてきたところを電車で戻る訳だから我ながら酔狂なことをしていると思う。電車は思いのほか混んでいて驚く。電車も街に溶け込んでいるし街の足という感じだ。烏川の鉄橋では冒頭の写真のように今日渡ってきた佐野橋を臨む。高崎駅では0番線ホームというのがオツだなあ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です