鎌倉街道上道裏返し 秩父鉄道永田駅から武蔵嵐山1
2023年3月19日(日) 秩父鉄道熊谷駅~永田駅下車(深谷市)下車~重忠橋~畠山重忠公史跡公園~鎌倉街道荒川渡河地~アイリスオーヤマ倉庫~普光寺~市野川~能増 地図は末尾
■畠山重忠公のお墓を詣でて、いざ鎌倉街道へ
■JR熊谷駅乗換で秩父鉄道に
秩父鉄道は思いのほか列車本数がある。ホームには人もたくさん並んでいて、やっぱり埼玉はそれなりに人口が多いんだなあと改めて思う。それでも駅2つほど過ぎればローカル線の味わいで、スイカで入場したけれど無人駅のようだが改札はどうなるのか少々不安になるほどだ。永田駅に近づくと北に浅間の白く雪化粧した姿が大きくそびえる。改札はしっかりスイカが使えた。
■重忠橋で荒川を渡る
橋から下流を臨む 荒川第二水管橋 右側は取水口
永田駅から荒川左岸を少し下流に戻り重忠橋で荒川を渡る。本来は「六堰頭首工」というのが正式名称で、重忠橋は公募で募集した名前である。2003年にリニューアルされたもので、その際に橋としての機能も設けたもの。元々は水に乏しい内陸エリアのため、農業用水の取水口として大切な施設であった。水争いも激しかったらしい。それにしても、この辺の荒川は景観が良く、上流の山々は特に美しい。サイクリングにおすすめのエリアのようだ。
■畠山重忠公史跡公園
散在したお墓を集めたもの 廟
NHKの大河ドラマの影響もあるだろうが、元来このエリアでは畠山重忠は大切にされてきた人である。この史跡公園も畠山という地名にあるくらいだ。地味ではあるが冒頭の像も立派で、散在していた墓を(有名人の宿命でたくさんお墓ができる。)ここに集めている。何と音声ガイダンス付だ。勇敢で、律儀で、しかも女にもてる。後世にこうした伝えられ方をしている人は意外に少ないと思う。
■花咲く荒川河川敷エリア
荒川左岸に沿う形で、上流方面へ向かう。浅間山が現れて見とれる。自宅最寄りの中浦和駅(高架)からも、天気が良いと頭の部分が望めるのだが、この辺からは真正面になり、高崎方面からより美しく思える。3月中旬なので菜の花はもちろんだが、早咲きの桜が咲き乱れる。同じ木で写真を3枚も掲載してしまう。この木の川寄りが鎌倉街道の荒川渡河点とされているようで、標が建っている。この桜を左折して坂を登るのが、古道筋になる。
■アイリスオーヤマよお前もか
歯止めにならなかったのか 倉庫の増設か 普光寺の道標 正面が工事
以前に自転車でここを訪れた際は、アイリスオーヤマの倉庫のフェンス沿いにある古道筋は藪で通れず、今回徒歩なので今回は藪をかき分けてもという予定だった。しかし、坂を登っていくと、・・・「藪がない」。目の前は整地された工事現場だった。鎌倉街道上道の道標だけがポツンと立っている。なんてこったい!フェンス沿いには道らしきものの痕跡はあるが、今後工事の進捗でどうなるのか?私有地だから所有者の権利という考え方もあるのかも知れないが、この工場と倉庫の住所は「畠山」である。しかも道標も私有地の中に了解して建てていて、坂の下(桜の所)と、アイリスの敷地の先の普光寺にも同じような道標が建てられていて、本来は地域ぐるみで鎌倉街道を大切にしましょうという環境なわけである。以前にガリガリ君の赤城乳業の工場でも同じような目にあっていて、こちらは庚申塔や馬頭観音を一か所にまとめて、無下にはしませんよという姿勢は一応みせていた。アイリスも何らかの形で鎌倉街道の遺構を残す努力をするのであろうか、企業の質が問われるところである。まあ、私の勤務先の親会社は神宮外苑の銀杏をぶった切ろうとしているのであまり大きなことは言えないが。
■景色で慰めよう
普光寺
鎌倉街道の古道筋沿いの普光寺は歴史はやたらに古いようで、創建後1200年を経ている。昔はこの辺は宿で賑わっていたらしい。アイリスとは行政区が変わり、寄居町になる。長閑な風景で先にアイリスで受けたショックを癒す。
■市野川沿いを歩く
児泉神社
古道筋と言われる市野川沿いを歩く。南がなだらかな丘陵になっていて景観に優れたエリアだ。児泉神社の裏手に古道の跡が見られるという記述を読んだが、残念ながら確認はできなかった。でも天気が良くて、花も色々と一斉に咲き始めていて、早春を満喫している。
市野川
■歩いた経路 三角が史跡公園で立方体はアイリスの施設