鎌倉街道上道裏返し 秩父鉄道永田駅から武蔵嵐山2

2023年3月19日(日) 能増交差点~丘陵地帯・伝承鎌倉街道~諏訪神社跡~八和田神社~奈良梨交差点~八和田小~横田土地改良区~普光寺~東小川の住宅団地~ヘラブナ釣り堀~他人地~東武線沿いの伝承鎌倉街道~志賀神社~東武線を渡る~カインズ裏の伝承鎌倉街道・カインズのケンタでお昼~武蔵嵐山 徒歩 永田駅から20キロ程度か 地図は末尾

■地元の方々が整備された伝承道を歩く

県道から丘陵への登り口

県道から右手に丘陵を登り尾根筋をはしる古道へ。能増側の道がそれらしいが、私有地を通るようなので、その先の広い道を右折する。途中の風情ある家々や、その庭の樹木が美しく花を咲かせて期待を募らせる。うれしいことにまず古道の道標が迎えてくれる。そしてその先には整備された古道の入口が。この辺は伊勢根地区で、住民の方々が鎌倉街道を大切に考えて保全に力をいれてくれた結果である。本当にありがとう。

■美しい丘陵

振り返る 丘陵が美しい

伝承道を先に進み、再び丘陵を登り振り返ると通ってきた丘陵が美しく横たわっている。住んでみたいと思わせる景色だ。実は美しいだけでなく、この小川の丘陵の地盤は古く地震に強い。震度6弱以上の地震が起きる可能性は10%程度で、首都圏で何か起こってもこの辺は恐らく盤石であろう。ちなみに保険会社の書類の保管等は、この丘陵ににある巨大倉庫を設営している会社で行われている。有事も心配され、食料自給率の問題もあるので、お金さえあればこの辺の農地ごと買って備えるのも一考であろう。

■諏訪社跡 古い歴史のある地域

丘陵に登ると田で途切れていた先の伝承道の続きの古道筋が現れる。この辺の歴史は古く宴曲抄(1301年)にも記載があり「ならめ梨」の記載があり、これはこの地域の奈良梨の事である。北条滅亡後は諏訪から諏訪氏がこの地域の領主となり、諏訪神社から勧請され諏訪社が祀られた。今は跡になっているが村社である八和田神社に明治40年に引き継がれている。明治政府は統治上、神社の統廃合を精力的に進めたがその結果であろう。八和田神社に鰐口が所蔵されていて「奈良梨宿」の記載があるので宿としてもこの辺は賑わっていたものと考えられる。

■奈良梨の交差点から八和田神社へ

竹林をくぐり気分よく歩いて下り、県道に戻ると奈良梨の交差点に八和田神社鳥居がある。少し戻るかたちで長い参道を歩くと村社である八和田神社がある。正直、建物自体は歴史を感じさせるものではないが、諏訪から飛んできたという伝説のある杉の苗が育ったという伝説の大杉(逆さスギ)は立派だ。また裏に公衆トイレがあり利用させてもらったのだが、大変清潔で清掃ノートが備え付けてあり、奈良梨の住民の方が管理されているようである。こうした地元の自治が鎌倉街道を守っているのだと思う。

■奈良橋交差点から再び丘陵地帯へ

交差点からの幹線を南西側に登り、鋭角に東側に左折すると再び丘陵の古道筋に出る。途中で畑に出て戸惑ったが、よく見れば薄っすらと道の跡があるので進み、途中で直角に右折すると八和田小学校のグランドにぶつかり、そこには立派なコブシの木が花を咲かせている。

丘陵の下り口で迷うが、寂れた神社を目印に道らしからぬ道で整地された耕作地に降りる。区画整理の大きな碑があり、真っすぐな新しい道を進む。谷戸のような地形にぶつかり、また丘陵を登る。しばらく歩くと普光寺の案内標があり、道筋の確認ができる。今日、畠山から寄居赤浜で通ったお寺もそういえば普光寺であった。こちら塚田の普光寺の創建は江戸初期と新しいが、赤浜の隠居した住職を迎えたのが名の由来のようである。なお塚田の普光寺は小川厄除け大師として有名なようだ。

■東小川住宅団地を抜ける

写真のような長閑な風景を楽しみながら進むと前方の丘は住宅団地だ。なかなか瀟洒な家が建ち並んでいる。バブルの頃のサラリーマンはこうした場所で無いと土地50坪以上の戸建は購入できなかったのだ。エリアは違うが売っていた私が言うのだから間違いない。この団地は小川駅まではバス便がきちんとあるし、前述のように地盤は強固なので通勤に問題がなければ住むには良いのではないか。もちろん団地の造成で古道筋は消えているので、いろいろ抜け道を探した挙句、団地からヘラブナの釣り堀の脇を抜けようとしたが、結局私有地を横切らざるを得ない結果となった。以前に鶴見川の源流付近で土地所有者のばあさんにからまれた経験があるので、極力こうしたことは避けたいものだ。

■古道の雰囲気を味わう

里山をぐるりと左に沿って歩いていくと、未舗装の道になり、左手に道の入口を見つけることが出来る。右手は崖上になっていて古道のような雰囲気。

左手にフェンスが現れるとやがて目の前を東武線が通っていて沿って歩くことになる。やがて右手に国道も見えてくるが左手は丘陵で、志賀神社が現れる。志賀神社は八宮神社とも言われているようで、こちらの目の前は東武線を挟んで巨大なカインズモールになっている。鳥居の先を登った裏手が鎌倉街道だったようで、先の住宅団地を直線で横切ればちょうどこの辺りに出てくることになる。東武線を潜る。

■再び伝承道へ

平沢の交差点へ抜けられる古道筋を探すが入口が見つからない。小さな川を渡る橋の手前を左折する道があるはずなのだが・・・。お腹が減っているせいもあるだろうと、一旦カインズの中にあるケンタで食欲を満たす。ポテトが五臓六腑に染み渡る。結局個人の所有地の手前に入口はあったのだが、枯れ草が大量に蓄積されて発見できなかったのだ。道はカインズとの境界のフェンス沿いに進む。

■出口は花が咲き乱れて迎えてくれた

今日は春の花が咲き、緑も美しく輝いていたが、古道の出口の最後には、祝福してくれるように花が咲き乱れていて疲れも取れるようだった。でもここから武蔵嵐山駅まで2キロくらいあるのでもうひと頑張り。

■経路です 大きな×は私有地です。良い子はマネしないでください。

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