鎌倉街道裏返しスピンオフ 「下野の川と東山道の史跡を巡る」 2023・9・3
孝謙天皇神社~姿川~下野国分寺尼寺~下野国分寺~思川~下野国府~15:45小山から輪行で浦和へ
■姿川、良い川です。
孝謙天皇神社を後にして、なんとも派手な建物の石橋中学を左手にして姿川に。橋の上から撮った写真が上記のものだ。中学の敷地の端を土手に左折して川沿いに進む。遊歩道のようになっている。
本当は本日はもう少し曇るはずだった。だから暑い。でも暑くても気持ちいいし、景色は最高だ。雲が低い。
もうすぐ稲刈りが始まるのだろう。稲穂は黄金色だ。その先に筑波山が頭をみせる。しかし途中から川沿いの道は雑草に覆われる。無理して草をなぎ倒しながら進むが、途中で心が折れた。農道に出ると自転車のチェーン、変速機に草がしつこく食い込んでいるのを必死で外す。すべてはすぐに取れないので、時々自転車を停めては外すことになる。
■思川、誰がつけた川の名前だろうか。
思川ではアユ漁が解禁されていた。栃木の川は那珂川といい、鮎が獲れるとは羨ましい。水浴びをしている人たちもいる。ただ皆車で移動するのだろう、川沿いを歩いたり自転車に乗ったりという人は見かけなかった。それで除草がされないのだろうか。それとも単なる予算不足か。
■東山道 国府
東山道は上野の新田から下野の足利に入り、下野国府から下野国分寺(尼寺)を経由して下野薬師寺の近くを通っていたようだ。国府跡は再現建物を展示しているが、入口から一切除草されていない。蚊の大群にも襲われて早々に立ち去ることになった。国府はヤマト朝廷の出先の訳で白と赤の組み合わせと瓦屋根は天皇の権威の象徴らしい。それで国旗は日の丸のわけか(?)。民主日本を標榜するのであれば、少なくとも日の丸の強要はできないだろう。
■下野国分寺跡
門址手前 金堂址
国府から東山道ルートで東に思川を渡って真っすぐに行くと、下野国分寺跡に出る。ただしそのような道は現在はなく、一旦北に向かって橋を渡り、南に戻ることになる。広い敷地が草も刈られて整然と管理されている。国分寺の跡がこんなにきれいに保存されているのは稀らしい。どこにあったのか分からないケースも多いらしい。しかし「跡」で見栄えの良い写真を撮るのはなかなか難しく、今後の課題だ。
■下野国分寺尼寺跡
中門址 桜
尼寺跡もなかなかの広さではあるが、若干コンパクトな分、逆に全体の建物構成が分かり易い。写真は中門址から全体を見渡したもの。基本的に柱の基礎が残り、建物の位置も想像しやすい。なお、こちらは桜の巨木が周囲を取り囲み、春はすごいことになりそうだ。もちろん後から植えたものである。この後に小山駅に向かい、浦和まで輪行することにした。サイクリングメーターの電池切れで本日の距離は不明である。