勝道上人と男体山 東国の仏教を廻る+紅葉

2023・10・27(金)有休取得 自家用車にて

戦場ヶ原から

勝道上人は735年に下野国芳賀郡の生まれで、男体山の開山者として知られる。782年、3回目の登頂での成功である。山頂には遺跡が残り、西側の断崖に存する。これは観音菩薩は補陀落山の山頂西阿とすることによる。なので男体山は補陀落山とも呼ばれる。遺跡からは奈良時代のものも発掘されるので、それ以前に登頂されたとの説もあるが、古いものを持ち込んだという説もあるがこの辺は専門家に任そう。

今回は中禅寺湖の南側の中禅寺湖展望台から男体山を臨んだ。本当は半月山展望台から少し見下ろすような光景をと思っていたが、雨に降られて断念した次第だ。麓には中禅寺(天台宗)がある。勝道上人が784年に創建した輪王寺別院である。男体山の頂上には二荒山神社があるので、その神宮寺となる。

立木観音近辺の湖畔から

先般、下野薬師寺に出向いた際に別院の龍興寺に寄ったが、そこには鑑真和尚を偲ぶ石碑があり、勝道上人の名もそこに刻まれていた。おそらく戒壇で受戒されたものと考えられる。上人の生涯は814年空海作の「勝道碑文」で分かるが、これは空海がお願いされて著したものであるらしい。上人は795年に上野国講師に任命され上野国分寺で活躍された。

■戦場ヶ原

今回は家人を連れてで、元々は紅葉見物が目的であった。戦場ヶ原の赤沼の駐車場に車を停めて歩くこととした。奥日光の紅葉のピークは過ぎていたが、少し冬枯れした戦場ヶ原はなかなか風情のある光景だ。遊歩道を2時間ほど歩いた。平日の静けさが嬉しい。

木道は湯川沿いを進み泉門池に、その後に小田代原方面に登って赤沼に戻る。

■中禅寺湖畔

日光には小中の修学旅行を初めとして何度も来ているのに南の湖畔は訪れていなかった。いつもは北岸の菖蒲ガ浜からの景色だったから雰囲気が随分と違う。

特にイタリア大使館別荘がある記念公園付近は、その建物の雰囲気と相まって高級感がある。中禅寺湖を船で渡ってみたくなった。

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