鎌倉街道上道 スピンオフ「小野小町の墓」
2023・10・08 大慈寺へ訪問 墓はすぐそばにありました
■小町の墓
大慈寺とほぼ道路を挟んだ野原の中に小野小町の墓がある。まあ、小町の墓伝説は多々あり代表的なのが生まれといわれる秋田、小野家の実家がある京都だ。眉に唾をつけたくなるが、この手の話は大好き。しかし調べてみれば決して荒唐無稽な話ではない。小町の祖父とも、父とも言われる小野篁は、大慈寺第四代住職で、第三代天台宗座主の円仁と遣唐使では同船して難破て命からがら助かった間柄だ。しかも、当地の住所は「小野寺」で、これは古代よりの地名で小野氏の荘園であったことも考えられる。小野家は京都山科に小野御霊町という地名が残りその存在は間違いがなく、その地にある随心院には小町の伝説も残る。しかし、小野篁も歴史上の人物ではあるが少々オカルト的な扱いで、詳細が不明な人物だし、小町も古今集に和歌が残った優秀な女御ではあったがやはり詳細は不明な人物なので、ここは大いに想像をたくましくしたいものだ。ちなみに秋田出身なのは小野篁が蝦夷平定のために雄勝に滞在した際に、現地の女性に産ませた子供とされる。美人だったので、宮廷に仕えさせようと京に連れて来たと考えられる。
新しいものだが大慈寺にも小町の和歌の碑が設けられている。