■創建806年 小本寺格の普光明寺

新座団地前でバス通りに合流。途中で806年創建といわれる古刹の普光明寺に立ち寄る。新座郡衙が750年 位の創設なので、この辺の寺院では恐らく一番古い。源頼家寄進の千体地蔵もあり、寺格も高く「小本寺格」 といい、志木の古刹千光寺を配下に置くようである。そして、訪ねてみれば現代的価値観になってしまうが 何故新座にこんな寺がというのが正直な感想である。ちなみにこの辺の住所は大和田といい、宿があったようで ある。川越街道を大和田交差点で渡る。この辺はロジステックスの巨大な建物や、ホームセンターやスーパー が出来て、道筋を含めて環境が劇的に変わりつつある。しかも柳瀬川を渡河する大きな橋も建造中である。 柳瀬川の向こうはすぐ関越の所沢インターなので「交通至便」という訳だ。開発はすべて埼玉県で行われており スーパーの先は東京都に変わり、元々の細い道に戻るが、この辺とて今後どうなるのか予断を許さない。こちら としては地域住民でもなし、ただ見守るしか術は無い。ああ。

■円通寺

やがて武蔵野線を潜り、そしてすぐ関越自動車道を潜る。自転車で通り過ぎる分には変化があって面白い。そして 道は柳瀬川段丘の右岸を通り下宿で右折して下る。滝城の麓に宿があったということだ。 円通寺に寄る。立派な長屋門を備えた1340年創建のお寺だ。道興准后は立ち寄ったのだろうか。ちなみに普光明寺 に脇の道を進むと、開発地の中をスルーすれば円通寺の前の道に出る。これもそれなりに古い道なのだと思う。自転車 だと信号も少なく快適だ。

■滝之城

さて、ここから自転車を押して登らなくてはいけない。文系自転車には急坂の文字は無いのだ。見栄は張らない。 本丸は神社になっているので曲輪を渡る先には鳥居がある。鳥居を潜れば絶景が待っている。本丸からの景色も 良いが、三の丸からの景色も秀逸で、武蔵野線を見下ろすかたちで撮影できる鉄道ファンには格好の立地だ。道興准后 がこの地を訪れたのは調度上杉家臣の館で接待を受けたであろう大石氏によって、滝山城の支城としてこの城が築かれた 時代であるが、さそがし景色を堪能されたのだと思う。ただ、高台にありながら1590年の秀吉側からの戦いでは、 平らな方から攻められて城はあっけなく落ちてしまっている。この平らな方の道は水子から柳瀬川左岸(北岸)を通る道である。

■難波田城(公園)

さて補記になるが難波田城についてふれておきたい。深大寺城からこの滝城、そして柏城に続いて難波田城、河越城が上杉氏 と後北条氏のせめぎあいになっていて軍事上も戦国期の攻防のラインになっていたものと考えられる。難波田城は 富士見市が公園としてまるでテーマーパークのようにきれいにしてしまったが、資料館も併設しているのでそれなりに 価値はある。ちなみにトイレもきれいでサイクリングの寄り道場所でもある。

■公園に残る十玉坊の墓地

大塚から水子、下清戸に移ったと 言われる十玉坊であるが最終的に難波田に移り、その墓地が保存されている。公園の中であるが私有地の表示がされて いるのが面白い。その風景は池袋近くの儒者捨場の光景を思い出させた。鳥葬のため墓碑が小さく地面の広がりが目立つ 光景である。それと似ている。修験者の葬儀とはどういったものであったのであろうか。今後の勉強としたい。