鎌倉街道下道から中道へ
2020・7・26 道興准后の足跡を辿って、帷子宿から餅井坂へ(徒歩 晴れのち土砂降り)
道興准后が関東を回国された際に、鎌倉を目指した道がある。芳賀先生のバイブルにも記載され、先生はこれを下道から中道への連絡路として規定されていた。ただし、下道の朝比奈切通が峻嶮なため近世以降はこの連絡路が主流になった可能性はある旨記述されている。元々帷子宿(保土ヶ谷)から下道としている道はかなざわ道で下道ではないと主張されている方もおり、そうなると連絡路は本道ということになる。最近の学者説では朝比奈切通は下みちではなく、永福寺(ようふくじ)跡の前を通っていた説もあるようで、こちらとしては実証できるわけもなく、ではと出かけて通ってみて感じて感想をブログに書くぐらいがせいぜいということになる。ともあれ長い梅雨と、終わりそうもないコロナ禍の中での、土砂降りにもあった徒歩旅となった。