旧水戸街道で古利根沼へ 2021・12・12

利根川 小堀の渡し 対岸は取手

■武蔵浦和から輪行で新松戸へ

久々の輪行だ。クロスバイクでは格納や組み立てに手間取りそうなので、ダホンの折り畳み自転車を携行することにした。さすがに折り畳み自転車なので、おおいに手間取ることはなかったが、「あれ、袋のどの位置に置けば・・」といった具合であった。乗車の武蔵浦和では武蔵野線のホームが遠い。折り畳み自転車は意外と重く、肩にベルトが食い込む。新松戸下車で、自転車で出発。旧水戸街道で小金宿に立ち寄り、我孫子方面へ。そこから古利根沼を目指す。

余談だが、武蔵浦和のホームで電車待ちをしていたら、反対ホームに「ホリディ鎌倉号」が到着した。武蔵野線で鎌倉に直通とはひとつの驚きだ。ぜひ今度乗車したい。

■旧水戸街道 小金宿

新松戸周辺は昔の農村の道路形状が結構そのまま残っているので、国道6号線方面へ抜けるには方向を確認しながらになる。文句を言っているわけでなく、農家風の家も残っていてその分ゆったりとした景色で悪くない。そんな道で高台になっている蘇羽鷹神社へ。昔は城だったようで、確かに西方面は一望の景色だ。6号を渡ると下る道があり、これは旧水戸街道の道筋のようだ。武蔵野線をくぐりしばらく進むとまた6号線にぶつかる。正直旧道らしさはあまり感じられない。この道筋で6号を再び渡ると、その先は北小金の駅方面で、小金宿に向かうことになる。6号を渡ると雰囲気は少し変わる。敷地の大きな、庭がゆったりとした居宅が多く、庭の松の枝ぶりも和風だ。元来古道沿いは富裕な商家等が多く残る。「玉屋」という旅籠の格子戸がついた建物が残っていて少々気分を盛り上げる。この道は真っ直ぐ行くと北小金の駅なのだが、水戸街道はその手前で90度右折している。何故なら、真っ直ぐの道は「本土寺」という古刹の参道になっており、わざわざ水戸街道はそちらを経由するように道筋がつけられていた訳だ。ちなみにこの寺は「あじさい寺」として有名であるが、歴史研究者の間では膨大な「過去帳」が残る寺として有名で、貴重な研究資料になっているようである。ちなみに参道は一旦常磐線で途切れているが、線路の反対側には道筋が残されている。

■東漸寺の紅葉

さて、道筋は先に進んでしまったが「東漸寺」を紹介したい。ちょうど紅葉がまだ残っており、訪れるには絶好のタイミングであった。とにかく参道が長く、山門も立派で「ここにこんな」という感じである。この辺は小金城もあったエリアで歴史も古く、本土寺とこの寺の存在は町の来歴を物語るものだろう。周囲は水戸藩の鷹狩場だった。ちなみに調べてみると、先の本土寺も相当大きな寺で10石の所領を有したが、この東漸寺はなんとその3倍の30石である。

■旧水戸街道を進む

旧水戸街道を進むと、マタマタ国道6号を渡る。古道は比較的最短距離を目指す傾向にあるが、宿と寺の関係だろうか。渡ると「根木内城址」で公園になっているので少々立ち寄る。大したことないかなと思って先を急いだが、東側からの遠景を眺めると川沿いの崖を利用した城であることが分かった。

旧水戸街道は南柏、柏の街中を通る。柏の商店街は少々田舎臭いが、商店街の真ん中の柏神社が賑わっていて時代劇のようで趣がある。

そして常磐線を陸橋で渡り先に進むと旧水戸街道の道筋は再び(マタマタマタ)6号を渡る。この辺はバイパスのような道路で、道路を潜って渡るかたちだ。進んで坂を登れば「根戸」という地名になる。北柏駅の北側だ。この辺は街道沿いに昔の農家風の建物がまだたくさん残っている。残っているが、道路の脇の建物が撤去されている所をみかけるので、そうこの先長くない景観なのかもしれない。だいたい建物が古い家が多いので、修復するのも大変そうだ。

そして驚くべきことに我孫子に向かうのに、マタマタマタマタ6号を渡るのである。旧道は結構合理的に最短距離のケースが多いが、水害を避けるため尾根を通す等の地形の影響を受ける。現代の国道は地形に関係なく真直ぐに道を建設する、その辺の差がこの現象を生んでいるのだと思われる。

我孫子から先は一息に田舎らしくなる。成田線を渡るために道路を左折するのだが、横断歩道と横断歩道のつなぎが島のようになっているのだが、そこには馬頭観音や庚申塔が積まれていて驚いた。旧道らしい。また、その先で結構立派な公園のトイレを使ったのだが、ちょっと行くと天王台の駅だった。この公園「駅前か!」という感じである。目指すは古利根沼、先に進む、今度は本当の農村集落が現れる。どの家も建物が立派で、住所を見れば「下ケ戸」という。細い道が幾筋にも分かれて勘で進むしかない。うわぁ行き止まりだ、引返せ、という事にもなる。サイクリング、迷う楽しみもある。しかし陽の短いこの時期、余り悠長なことも言っていられない。農道に出たので地図を見返せば先の駅前公園の手前で旧水戸街道は左折して取手方面に向かっている。本当はその道でまた6号線に出て、渡って再び渡り、古利根沼を目指すはずだった。とりあえず農道を突き進む。辺りは一面の野原、沼はもうすぐだ。

■来たぜ!古利根沼

古利根沼へは一番進行先から近い西側からアクセスした。早く出会いたかったのだ。川が蛇行し、沼として残されたので地図で見れば三日月型で、だから端から全貌を望むことはできない。沼の先にずっと森が続いているという風景だ。その森の奥の北側が、まだ川だった頃の河岸だったはずだ。

利根川沿いから河岸方面にまわることにする。途中沼の最西端にでる道があり、砂利道を恐々進んだのだが、狭い沼岸には立派な車が3台に男が3人。思わず「エッ」となる。車に釣り道具は積んでいるようだが、車がベンツ等で立派過ぎて少々怪しい。こんな所で何かを売買でもしていても気づかれ難いだろう。かと言って、すぐ引き返すのも、「おい待て」とかって言われても嫌だし。顔を引きつらせながら会釈をして、いやぁ私は写真を撮りに来ただけですからオーラを出すようにして、「少し曇ってきたかな。」なんてわざと呟いてみる。男達の話に耳をそばだてると、子供のお迎えの話が出ている。ほっとした。

■小堀河岸とは

山川ブックレット「海の道、川の道」より

沼の南から半分が千葉県我孫子市で北側が茨城県取手市となり、ちょうどこの人が集まっていた辺りが境界になる。一旦利根川の堤防に出て小堀河岸を目指すことにする。利根川の南なのに茨城県、小堀なのに「おおほり」と読む。少々脳ミソが混乱をきたしそうになる。河岸は関宿や松戸とともに栄えた河岸である。天候による船の停泊地、物資の補給痴そして荷分けする艀を置いた利根川開運の基地であった。利根川から沼にすすむと神社がある。「水神社」だ。「利根川図誌」に小堀河岸のことが書かれているが、この神社のお祭りは花火を上げたりと、それは盛大なものだったらしい。河岸の集落は直線な道路沿いにあり、その裏の沼側が河岸だった場所だ。この集落は家の大きさ、造りからして今でも裕福そうだ。

家と家の間の未舗装の道をいくつかチャレンジして沼の護岸に出ることが出来た。コンクリート等で固められていない昔ながらの河岸の跡が残っている。地元の人だろうか小舟で漁をしている人がいる。それ以外は人気もなく、森に囲まれた静寂な沼である。少ないながら桜の木があり、春にはどんな景色になるのか想像するだけでもわくわくする。この沼の埋め立て計画があったとは少々驚くが、近隣には戸建の大規模団地もあるのでバブルが続いていたら危なかっただろう。利根川沿いの集落にはコンビニがあり、そこで食料調達をして小堀の渡しの所で休憩した。なお、この日は沼端にいたら、ドスンと強い振動があった。スマホで調べたら結構大きな地震で驚いた次第。

■手賀沼へ

利根川右岸沿いをすすみ再び我孫子市に戻り手賀沼を目指す。沼の東側丘陵を登って行き、途中に神社があったので寄ったが、この脇道の紅葉が素晴らしかった。沼の周囲はもう冬枯れだったがここだけ色づいていた。下って湖北台の駅の手前から国道356号線で我孫子に向かう。途中東我孫子の先で手賀沼へ左折し、手賀沼の遊歩道に出る。自転車もOKだ。

日は傾きかけているが、雲は消えて行き水面が眩しいばかりだ。幸せなサイクリング、ゆっくりとペダルをこいで、時々停めては写真を撮る。風も冷たくなく心地よい。日差しに溶けてしまいそうになる。手賀大橋の下をくぐり、最後は志賀直哉の別荘跡地を見学して我孫子の駅に向かう。南斜面の住宅地であるが、なかなかの坂道である。我孫子は始発列車が多いので、輪行にも最適だ。本日はめでたしというところか。

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