鎌倉街道上道裏返し 高崎から山名1

2023年1月8日(日) 電車・中浦和から高崎 徒歩・常盤橋か高崎城跡から烏川の河岸段丘上の古道筋経由小夜の渡し(木橋)経由根小屋

木製の佐野橋

■高崎市街の起点は常盤橋

近世の中山道は鎌倉街道をなぞった経路といわれ、とりあえず市街地の起点を烏川の渡河点と思われる常盤橋付近としました。近くの交差点には「中山道」の表示があり、古い醤油の醸造所なんかも。高崎駅から歩いていくと、駅に近いのにも関わらずなかなか落ち着いた住宅地が散在しています。近くの高崎城跡地にはお堀があったり、公園になっていたりして環境も良く、街の中心にも近いのでこの辺だったら住んでも良いかなと思わせます。

高崎市役所はタワー風で立派。前橋の県庁もタワーで都庁に次ぐ高さとのことですが、競い合って建てたのではないかと思われます。高崎と前橋はライバル関係ですから。ちなみに完成は高崎市役所が1998年、前橋県庁が1999年です。

■前回見逃した鎌倉街道の再確認

さて、前回の古道探訪の際に頼朝の馬が蹴った石として伝わる「化石」を探したのですが、結局見つかりませんでした。今回再トライで「佐藤医院」の敷地内を探してみたのですがやはり見つかりません。おかしいとブロックをぐるぐる回ってみます。すると佐藤医院の隣に大きな病院があるではありませんか。駐車場で気付かなかったのですが、何とこちらも佐藤医院。見事に「化石」を発見。佐藤医院(耳鼻科と産婦人科)が2件並んでいるというオチになりました。産婦人科の佐藤医院から烏川方面に下り、河岸段丘沿いの古道筋をたどります。前回は自転車だったのでパスしたところです。川を挟んだ向こう岸には丘陵の上に高崎観音が見える良い景色です。眺望を求めてなかなか立派な家が建てられています。

今回のルートは佐野の船橋を渡るルートを行きます。現在は佐野橋という木製の橋がかかっていて古道気分を盛り上げてくれます。また、渡る手前には鉢の木で有名な常世神社があるので、前回も寄りましたが再度寄ることにしました。説明の絵が扉を開けると出てくることに気付きました。さお、高崎城は元々佐野城といい、市街地側は佐野という地名だったそうです。

■烏川の氾濫原を歩く

この氾濫原を通る鎌倉街道筋もあったようです。振り返れば先の高崎市役所が。この長閑な風景にタワー市役所が屹立している姿は不思議な感じです。ところで鎌倉街道と切っても切れないのが「廻国雑記」の道興准后ですが、この辺から見た浅間山の景色に感動して歌を詠んでいます。「今は世に煙を絶えて信濃なる、浅間の岳は名のみ立ちけり」と、その後に山名八幡に向かったようです。私は一旦上信電鉄の根小屋駅の南側で線路を渡り金井沢碑に向かいます。続く。

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