■引又宿

法幢時参道は古小金井街道(奥州街道)とも言われ、参道前を進むと引又宿になり、そこから先の道が引又街道になる。所々ではあるが土蔵風の古い建物も残り、往時を偲ばせてくれる。現在の住所では志木市本町になる。ちなみに街道の名前は向かう方向で付けられるのが一般的なので、皆引又宿や河岸を目指したわけで、当時の繁栄が想像される。河岸だけでなく宿では商業集積もあり近隣から人が集まるところだったようだ。

■朝霞台地を進む

本町から一旦下りになり、宮戸の法蔵寺から先は登り道になる。朝霞台地で高台から新河岸川や荒川方面の眺望が開けて気分が良い。高架の武蔵野線のそのまた上を陸橋で通る。渡ると右手に公園があるが、その先のこんもりとした森が峡古墳(ハケノコフン)だ。残念ながら墳丘は拝めない。ここは浜崎という地名で、道興准后が歌を詠んでいる。「武蔵野を分けつつ行けば浜崎の 里とは聞けど立波もなし」

ここから低地に下っていく。この先の黒目川沿いの高台には一夜塚古墳や柊塚古墳もある。また、久々にこの辺を訪れたら、以前は積水化学の工場があったのが住宅団地に生まれ変わっていて驚く。なかなか小ぎれいで高級感もあるが、もちろん建物はセイキスイハイムが建ち並んでいる。

■新倉へ

右手に根岸台の台地を、左手に荒涼とした新河岸川右岸の低地を見ながら進んで越戸川へ。緑の多い景色に少しホットする。赤池橋の先に緑の小山があるが、この上部は氷川八幡神社である。こう記述すると長閑な風景を想像しそうだが、小山にはマンションがへばり付いて建てられ、その先は外環道の新倉PAなのでコンクリートの塊だらけの風景である。巨大郵便局をはじめロジステックの建物も多い。和光市駅まで徒歩15分弱であろうか、何とか歩ける距離なのだろう。小山の向こうには花ノ木遺跡で、出土品から郡衙の噂のある地域でもあり、ここが本来の志木郷との説もある。新倉PAを潜ると雰囲気が少し変わる。竹の下通りというらしいが勿論原宿とはなんの関係もないだろう。

■坂下公民館通

特に地名には無いのだが、「坂下」という言葉は地域になじんでいるのか、その名を冠したショッピングセンターがある。色といい、昭和の雰囲気が濃く漂う。この辺は東上線沿線までいかないと商業施設がないので、生き残っているのだろうと思う。道筋の目印でもありありがたい。ここから笹目通までの間の雰囲気はやはり時が止まってしまったかのようで、自転車をゆっくり走らせていると心が和む。このまま保存できないだろうか。

■崖を下り白子へ

笹目通を越えると白子川の段丘なのだろうか急な坂道を下ることになり、出だしに吹上貝塚がある。ここが貝塚ということは太古の昔は目の前は海だったのだろう。遠くまで眺望が開けている。どんどん下る途中には豊川稲荷神社があり、旧坂に鳥居が連なっている。下りきって白子川沿いを白子宿に。旧川越街道を挟んで古い建物がいくつか残されている。

■その名も牛房通

国道254号線(川越街道)をさらに越えると「牛房通」という道に出る。右手が丘陵で、左手が白子川だ。和光市の施設も「牛房出張所」である。その裏手には神社がある。当日は白子川沿いから石神井公園に抜けて、今川家の菩提寺を訪ねた。この日はNHKの大河ドラマが桶狭間の戦いだったのである。

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