①児玉~用土~荒川~②花園橋(赤浜)~普光寺・三島神社~市野川沿い(今市・能増)~杉山城~武蔵嵐山駅
■荒川の河原と赤浜の渡し
花園橋はなかなか巨大な橋で河原からも相当な高さがある。対岸同士の河岸段丘が相当な高さがあるので、そこを水平に繋ぐと必然的にそうなるのだ。交通量もあるので、自転車では舗道を進むことになる。古道は当然に河原から川を渡河していた訳で、当然河原に古道筋はある訳だが、この高い所から河原に降りるのかと訝っていたら、右に大きく曲がって河原に降りていく道がしっかりあった。降りると工場がいくつか並んでいる。下流側の渡しがあった赤浜地区は広大な農地で区画整理されている。その中の道を進み、川沿いの道に出て獅子岩を探す。クリーンセンターがあるせいでゴミ収取車の何台かとすれ違う。恐らくこれがという岩があり、獅子岩ということにした。正直緑が茂って川面が見れず、特定が難しい。さらに進むと手作り感満載の鎌倉街道碑に出会った。
■古道筋を探索
左手はアイリスオーヤマ 未舗装
碑から川面の反対側は登りになっていて、細道が森の中に吸い込まれている。ようやく古道筋だ。進むと森の左手に緑を透かして巨大な建物があることが分る。これはアイリスオーヤマの建物だが、こちらから見ると秘密基地にしか見えず、とても正業を営んでいるようには思えない。右手は先の低地の河原越しに景色が広がっている。準幹線に突き当たり左折してからすぐ右折して普光院を目指す。未舗装の道路が長閑な風景の中を通っているが、先には派手な建物の幼稚園があり、その右手が普光院で脇には鎌倉街道の碑が並んでいる。
普光寺
■市野川沿いへ
三島神社 児泉神社
ここから三島神社へは古道筋で、三島神社の「鰐口」は文化財に指定されている。神社の前には説明の表示もあるが、例えて言えば鰐口は銅鑼のような物だろうか。 南下して市野川方面に向かう。幹線と交わる左手前角に地蔵堂があり、これを目印に幹線を渡って進むと田園の中の細道になって古道筋かと思われる。こんな所にというと失礼だが石釜ピザ屋の看板があって驚く。進んだ通り沿いには児泉神社の深い森があって、芳賀本の記述通りだとこの道は古道筋ということだ。この辺は今市という地名で宿があった所だ。
■古道の雰囲気を楽しむ
市野川 旧街道の表示
市野川の景観は良い。川沿いには桜並木があり、対岸の右岸の先には田圃が広がってその先は緩やかな丘陵が重畳している。旧道の表示も所々に現れ、少し高台を進むことになる。市野川の氾濫を考慮して高台を通したもので、古道の法則通りである。能増という地名が珍しい。仕事がらみになるが保険等の重要書類を保管するワンビシの倉庫の表示があって驚く。もっと丘陵の奥にあり、ここの倉庫があるということは災害にも強いエリアではないかと思われる。 古道らしさを味わい、道は幹線に戻る。幹線だが市野川の段丘の上部を通っているので、古道が幹線転化したものではないだろうか。道端には庚申塔や馬頭観音も見られた。しばらくこの道を進み杉山城を目指す。
■杉山城を訪ねて
鎌倉街道を臨む 杉山城全図
郭
玉ノ岡中入口から左折し、中学手前の立派なお寺の上の山がお城だ。お城と言っても天守閣があるような城ではもちろんない。中世の戦うための山城で山内上杉が造った城である。その戦略的な設計から名城と言われ、またその城のかたちが良好な状態で残っているというのが奇跡的である。この山全体が個人のもので、雑木林として手を全く入れなかったというのが功を奏したようだ。登れば広さに驚き、溝を介していくつもの郭に分れている。そして鎌倉街道が見通せて、確かに戦略上の重要拠点であったことを感じさせてくれる。 ここは役場にも近く、武蔵嵐山駅へも直ぐであった。
<地図経路>