①高崎~山名~古墳群~②鮎川~神流川~神川町~児玉 ダホン

■鮎川から神流川へ

広大な野原を自転車で進む。鮎川の渡河地点を目指す。道端の馬頭観音が古道筋であることを教えてくれて安心して自転車をこぐ。真っ直ぐな道だ。途中で上信越道を潜る。その先を左折すると千部供養塔があった。江戸時代の浅間の大噴火の被害状況がここには記されている。その先は鮎川なのであるが、クリーンセンターがあって川を楽しめなかった。幹線に戻り橋から鮎川を眺める。綺麗な流れだ。先の所から渡った先と思われる所まで足を運んでみる。古い街並みが残り古道らしさを感じさせてくれる。並んだ家々も裕福そうだ。進んで254号線を渡る辺りで道に迷う。田圃が区画整理され、整然とした風景になった分、かえって方向感覚が無くなった。庚申山の麓を通るつもりがどれが庚申山の風景なのか分からなくなった。細道を抜け準幹線に出て、セブンイレブンを見つけて休憩しながら気を落ち着けて経路を確認する。準幹線を戻り右折し、目印の美九里東小の脇を通ると神流川に向かう坂道になって下る。

■葵御前

畑の真ん中にこんもりとした木々のかたまりがあり、そこが葵八幡である。木曽義仲の愛妾葵御前を祀った神社である。お参りすると立派な板碑があったのに驚く。こんな所にひっそりと祀られた女性とはどんな人だったのか少々気になる所だ。

■相撲と埴輪

北上して土師神社に向かう。実際に神流川の渡河地点は土師神社から川に向かった辺りと考えられる。今の八高線の鉄橋と重なる。土師神社は野見宿祢を祀り、相撲の祖とされており土俵が残っている。また、埴輪造りの祖ともされており、神社の先には本郷埴輪窯跡がある。さらにその先には古墳群もある。ここで造った埴輪を古墳に置いたのだろうか。先の古墳群の埴輪もそうかもしれない。

■なかなか対岸に渡れないこと

さて、神流川を渡ろうとしたが八高線の鉄橋は鉄道専用で呆気にとられる。芳賀本では自転車および徒歩可とされていたのだ。調べてみると1.5キロ程下流の藤武橋を渡るしかないことがわかる。往復相当で神流川沿いを3キロで、橋の長さを入れると4キロ近くなる。神流川はなかなか立派な川で、河原も広く、思えば先の鉄橋を八高線で渡った際にはわざわざ川の名前を調べた覚えもある。 そうして対岸の出雲神社を目指したが、これがまたうらぶれた神社で、脇の道が未舗装で土埃が舞っているところがわずかに古道を感じさせてくれる。旧道筋があるとのことで期待していたのだが、こちらも当てがはずれた。

■雀の宮橋から児玉へ

気を取り直して一旦八高線方面に向かい、線路近くから神川町役場の前の通りに進む。最初は何てことの無い準幹線であったが少し進むとこれが農村の中の細道になり、サイクリングとしては快適になった。古道筋とも思われる。やがて八高線を踏切で渡り、今度は線路の反対側を線路に沿って進む。予習によればこれも古道筋らしい。あまりに農業地帯で少々街道と言う雰囲気は薄れ不安にもなるが、やがて未舗装の道も現れる。その先には川があり、目印の雀の宮橋だ。ほんの小さな橋であるが、芳賀本にも明記され紛れも無くここは古道筋である。線路の反対側には塙保己一旧宅もあるのだが時間の関係もあり今度とすることにした。児玉駅で終了とする。

<経路地図>