自転車 トレック

■始まりは江戸名所図会

江戸名所絵図

クロスバイクを購入。さて、何処に足を延ばすかと検討した結果多摩湖へ向かうことにしたが、ただそれだけではつまらない。ちょっと前に購入した「近郊散策江戸名所図会を歩く(川田壽著)」をパラパラめくると、この方面は「鎌倉街道に沿って」の章で紹介されている。地図と照らし合わせて八国山経由で多摩湖を目指すことにした。今思えば、これが鎌倉街道を探索する端緒であったわけだ。 当時は川沿いの道を自転車で散策することが多く、この日も柳瀬川沿いから八国山を目指した。

■曼荼羅淵

曼荼羅淵

柳瀬川が西武新宿線と交わる手前、ちょうどこの辺りは川が東京都埼玉の境界になっているのだが、川は北側に大きく蛇行し埼玉側が高台になっている。高台の上は持明院で昔、弘法大師はここで野宿をしたらしい。淵は河童が昔は活躍していたらしいが、今でもそんな雰囲気が残っている。ただ南の東京側は広い空き地になっているので、開発の波が押し寄せそうな状況だ。

■板碑の存在を初めて知る

川が線路を潜ると、上流側が二手に分かれて南側が前川になり(やがて北川も分岐)徳蔵寺の脇に出る。徳蔵寺には何と板碑保存館というものがあり、国重要文化財である「元弘の碑」が保管されているとのことだった。これが太平記の戦記を実証しているのだそうだ。この時は「ほほう」と板碑の存在を知っただけで、その後板碑と深く付き合うことになることも知らず、保存館を見ることもなく八国山へ。山の麓には「久米川古戦場跡」が示されていたが、中世史に元々暗いこともあり、またただの児童公園の隅に碑があるだけだったので「ふふん」と肯いてまたまた先に進んだ。

■八国山を登る

この日は歴史云々より新品の自転車がメイン。埼玉は平らなので、24段変速の効果を試す機会が無かったのだが、初めての山登り?となった。実際は松が丘という埼玉郊外にしてはなかなか立派な戸建てが立ち並ぶ住宅地内の幹線道路を登り、途中で左折し将軍塚方面を目指して住宅地内を登った。ここから所沢方面を望むとタワーマンションが林立していることに驚く。思いがけない都会の風景だ。 さて、将軍塚である。新田義貞が旗を立てた場所とも言われている。八国山というのはこの高台から八つの国(実際は山)が見渡せたのでついた名称とのことだが、戦闘で高台に陣地を取るのは敵の情勢を知る上でも典型的な戦略なのだと思う。写真のように将軍塚の碑はなかなか立派である。 さて、ここからは山の尾根伝いに多摩湖に向かって進むが、この尾根はみごとに東京と埼玉の境界になっていて、なんと境界杭まで設置されている。ちなみに将軍塚は埼玉側にある。もちろん未舗装だが32Cのタイヤは難なく走り、スピードを少しあきらめ太いタイヤにした自身の選択が正しかったことに満足、満足。登りも下りもそれなりにスピードの出せる斜度で人も少なくいい気分だ。やがて眼下に多摩湖が見えてきた。

多摩湖

なお、この後に新田次郎の「新田義貞」を読み、鎌倉街道の世界に足を踏み入れていくことになった次第である。