■鉄砲宿発

鉄砲宿から鎌倉を目指す。最も「宿」らしい痕跡は無く、信号表示とバス停にその名を残すのみである。まあ、昔の名前が残っていれば、昔はこの辺が宿だったことが分る訳で、それだけでも良しとするか。ただ古道筋を見つけるのはなかなか難しい。当たりを付けた道も少々急坂過ぎて、違うかなという感じがする。仮にこの斜度で馬を利用した場合に、登りはともかく、下りは相当危険だろう。自転車も降りて下った程だ。ただ、鎌倉市と藤沢市の境の部分なので古道の法則によれば古道とも取れる。

鎌倉側は市街化調整地だろうか、広大な農地が広がっていて気分が良い。 柄沢神社の前の道が古道との話であったが、この辺りは区画整理が行われたためにそれらしき道筋は見当たらない。神社に庚申塔等が集められて展示?されている程度だ。準幹線に出て坂道を慈眼寺方面へ登る。

■村岡城址公園

慈眼寺を過ぎて右折し今度は下り道になる。周辺は比較的新しく開発された住宅地だ。この辺の最寄りの駅はどこになるのか少々見当がつかないが、住宅は建て込んでいる。どんどん道を下って右手にある村岡城址公園に立ち寄り。城址公園といっても特に城らしき跡がある訳ではないが、見下ろす景色は素晴らしい。街が一望だ。ちなみに城跡の代りに碑が建っている。

■東海道線の先

ここからもどんどん下ると武田薬品の巨大な建物の前の通りにぶつかる。この道は東海道本線に沿った通りである。鎌倉に向うにはこの鉄道を渡らなくてはいけない。ここでは線路の下のトンネルを潜ることになるのだが、ちょっと勘違いしてしまった。本来であれば先に下った道の方向にある「御霊神社」方面に右折すれば、未舗装の古道も残っているらしかったのだが、左折して柏尾川を渡ってしまったのだ。結果としては天満宮で本来の道と合流することになる。また、間違って迷い込んでしまった街は、古い街並みが残っていてこれはこれで趣があった。

■鎌倉市役所移転予定地

天満宮から先の直線でモノレールの通りに抜けるのだが、目の前には広大な野原が広がっている。ここが鎌倉市役所の移転候補地である。これなら潤沢な税収を生かして、充実した公共施設が作られるのだろうと思う。鎌倉の中心地はただでさえ交通渋滞が問題になっている訳で、別に移転しても問題はなかろうと思う。ちなみに私の地元では駅前にわざわざ公共施設を作り、街中に人を呼び込もうと一生懸命だ。県立病院を駅前に移転させているケースもある。およそ鎌倉とは事情が異なる。

■さあ、鎌倉!

モノレールを潜り大慶寺前から深沢中学に向かう。大慶寺は往時には相当の勢力を誇った寺であったようだが、今ではこじんまりとしたお寺だ。中学から先は開発された住宅地でなかなか瀟洒な家が建ち並ぶ。ただ登ること、登ること。途中で自転車から降りることになる。新築中の家も散見されるが、若い人でないと住みにくいかもしれない。でも値段もそれなりで、そこそこの所得がないと・・と思う。

■化粧坂を自転車を担いで降りる

鎌倉中央公園の麓を抜けて、今度は下りに転じるすぐその先で右手の細道に入り葛原岡神社へ向かって源氏山になる。 しばし休憩。外国人の観光客も多い。公衆トイレは泡トイレで懐かしい。 さて、化粧坂。勿論自転車では降りられない。半分担ぎながら降りることに。何とこれは畠山重忠の鵯越えのようではないか。こんなに急だったろうかと、以前の記憶を辿る。足元も相当悪い。下りが緩くなると、今度は滑りやすくなる。なかなか気が抜けない。降りると今度は周辺がすぐ住宅になるところが面白い。

■政子の墓そして上道の走破。パチパチ!

ここから鶴岡八幡宮を目指す訳だが、せっかくなので北条政子の墓がある寿福寺に立ち寄ることにする。鎌倉五山のひとつだ。本当は太田道灌由来の英勝寺に最初に辿りついたのだが、拝観有料のため変更とした。寿福寺は先の源氏山の反対側の斜面に建立されており、墓地は山の中腹となる。政子の墓もかなり寺の奥に進んだ山裾だ。岩石をくり抜いた墓である。墓地も相当広く、鎌倉五山の実力を垣間見た次第。 線路を渡り、混む道路を避けて八幡宮の西門で終了とした。これで上道走破となった。めでたい、めでたい。

<経路地図>