②女影~延慶の板碑~笛吹峠~大蔵・菅谷館~嵐山

■女影から先 のどかな埼玉の田舎

女影から北上して川越線の女影踏切を渡る。ちなみに武蔵高萩駅が近く、駅近くの踏切も古道筋のようである。進んで小畦川を渡ると整然とした区画の農地が現れる。ここも区画整理だろうと思っていたが後で調べると違っていた。ここは陸軍の飛行場だったのである。古道にもいろいろな敵が現れるものだ。この先は少し古道筋になり、東武生越線の西大家駅を目指した。高麗川を渡ろうとしたのだが、少し迷って高麗川に向かった道路の真ん中に鎮座する秋葉神社に出会った。ほんの小さな社であるが、何とも言えない風情がある。これもまた旅という気持ちになる。

■延慶の板碑

さて、準幹線なのか、古道筋なのかよく分らない道筋を自転車で駆け抜ける。この辺だと注意しながら進むと「板碑」の案内があった。有名な「延慶の板碑」である。今日のメインイベントである。自転車を置いて林の中を進むと、まずやぶ蚊が押し寄せてくる。手で払いのけながらさらに前に進むと、果たしてあったのである。どでかいのが。予想外の大きさ、そして綺麗に文字と言ってよいのだろうか文様がくっきりと浮かんでいる。放心して見ているが、はやりやぶ蚊が寄ってくる。写真を急いで撮って退散するしかない。戻る途中で後ろを振り返る。これは現実だろうかと確認した次第。それ程非現実的な光景であった。この場所は越辺川沿いで、川の景色も美しく少し非現実的だった。

越辺川

■笛吹峠へ

この後は苦林地区で、本当は旧道も一部残っているらしいのだが、時間が押して来ていたので幹線のバス通りを進む。この脇に旧道筋も残っているらしい。役場を過ぎて大橋地区の三叉路を右手に進む。しばらく道なりに進み左手に曲がると街道端沼だ。ここから先が笛吹峠である。新田義貞の遺子義宗と宗良親王が足利尊氏軍に武蔵野合戦で大敗した後に最後の陣を張った場所で、宗良親王が笛を奏でたとも伝えられている。

■ここは何かある場所

さて、突然空気が変わる。折り畳み自転車なので途中で降りて押すことになり、汗をかきかきのはずなのだが空気が冷やっとする。自身はあまり「持っていない」人間で、決して幽霊を見るようなことはないのだが、この峠には明らかにスピリチャルなものを感じる。少し林の脇に入れば旧道らしい道筋も見受けられるのだが、何となく一人では奥まで進む気になれない。峠から下ってみるとなる程と思う。民家もあるのだが、道端には数多くの板碑や馬頭観音が置かれている。

■心が洗われる

日吉神社

立ち寄った日吉神社の荘厳なこと。恐らくこの辺りの住民の皆様は先祖代々こうしたものをきちんと維持管理し、その底に流れる人の思いを大切に保存してきたのであろうと感じる。近くにゴルフ場もあるのだが、周辺の景色も柔らかく、心に和む緑が広がっている。

■畠山重忠を訪ねて

坂を下ると大蔵館跡がある。義高の故郷である。祖父にあたる源義賢の館で、義賢は源為義の次男で、長男は平治の乱で敗れた源義朝である。 旧道筋を進み都幾川を渡る。左手のMS 明朝 (本文のフォント – 日本語)先に見えるのが畠山重忠の屋敷、菅谷館である。周辺は公園や史資料館があり、重忠の像を拝んで嵐山駅から帰路に着いた。この像がまたかっこ良くてイメージを裏切らない。

<経路地図>