小野路~野津田公園~七国山~南大谷~金森~鶴間~上瀬谷~本郷~橋戸 ダホン
■小野路から七国山へ
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神学校から下る
小野路から先も緑豊かな地域であり、古道筋も諸説あるようであるが、大方道筋はは失われている。これは野津田公園等を開発したためだ。公園も立派な開発な訳で、古道には天敵である。陸上競技場や高校も作っていて必要なのは理解でき、開発そのものを否定するわけでは無いのだが、営利事業ではないので「道を保存する」という概念も是非行政の皆様には頭にいれておいて欲しいものだ。 幹線から一歩はいった細道の急坂で小野路一里塚を目指し、陸上競技場の敷地を抜けて農村伝道神学校前を通り、未舗装の道を鶴見川へ下る。途中正面に七国山が一望できる。本来の古道筋は公園内を抜けて華厳院から芝溝街道に降りる道のようである。今度そちらにも挑戦してみたい。
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七国山を臨む -
鶴見川
芝溝街道から鶴見川を丸山橋で渡る。この辺は水の流れもきれいだ。七国山が目の前に迫るが、右手の住宅地方面へ進む。
■古道に自転車で叱られる
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七国山入口 -
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井戸
しばらくすると農園が左手にあり、農園の入口から登る未舗装の道が鎌倉街道だ。ここは分り難いので、事前に細かな地図で十分確認した次第である。しばらく登ると保存会が作成した看板があって確認できたのはうれしかったのだが、たまたま保存会の方々いらして「ちょっと、ここはそんな乗り物を乗るためのところじゃないよ。降りて。」と怒られる羽目になってしまった。その時はヤレヤレと思い自転車から降りたのだが、自分が乗っていたのが折り畳みの小口径の自転車だったのでオフロードスポーツ用と間違えられたのではないだろうか。まっ、おかげでこのエリアの鎌倉街道の保存は当面大丈夫そうなので良しとすることにした。小野路に続いて古道の雰囲気が強く感じられる。なお、新田義貞が馬に水を飲ませたという井戸が残っているが、こちらは少々荒れ果てた感があった。
■町田の古刹
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養運寺
今井谷戸の交差点に出た。ここは鎌倉街道(幹線)と団地の通りが交わる場所だ。鎌倉街道の東側に細道があり、これが古道筋になる。それが証拠にと言う訳ではないが、その先には宏善寺や養運寺という古刹がある。特に宏善寺は日蓮の宿泊所にもなっていて、鎌倉街道とのかかわりも深い。養運寺から菅原神社方面へ出て町田駅方面を目指すのが本来の古道筋のようだが、残念ながら道路整備が行き届き古道筋は残っていないようだ。菅原神社は中先代の乱での井出の沢古戦場跡碑もあるのだが・・。 ということで芳賀本に紹介されていた別ルートに挑戦。恩田川に沿った道をそのまま進むコースである。南大谷で小田急線を潜ってしばらくして右折して、南大谷中の前で左側の住宅地の細道に入り込む。この先に金毘羅神社があり、この辺の雰囲気がよろしい旨の記載であったが、残念ながらどこまでも続く普通の住宅地ということでやはり時の流れは残酷であった。成瀬街道から町田駅方面へ戻る。
■大きな〇〇の木の下で
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杉山神社 -
成瀬街道から町田街道へ。町田街道とJR横浜線が交わる南橋の交差点から金森へ。一瞬細道になり古道筋らしくなったが、すぐに整備された幹線に。鶴金橋の信号を過ぎたセブンイレブンの右側を斜めに反れていく道があるがこれは間違いなく古道筋である。しばらく進むと大木があり、そこは杉山神社であった。しばし休憩とした次第。大きな○○の木の下で歌いたかったが、木々の名前が分らない自分が恥ずかしい。この辺は急に農村風になって気分が良い。 この先は境川であるが手前で農道を左折することに。車は通れない道である。ここから町谷原通を越え、熊野神社経由で南町田駅方面に抜けるのが本来の古道筋と思われるが、保土ヶ谷バイパスおよび鶴間公園で道は消えている。結果論としては大きな木の下で休んだ後は境川沿いを進むのが正解だった気がする。境川はその名の通り東京と神奈川の境界を流れていて江の島を河口としている。この辺でも川遊びをしている子供らも見かけ、サイクリングコースも整備されていて、今度はこちらに挑戦かとも思う。ただ、神奈川側の川沿いはかなり住宅の開発が目立つ。
■工場街の古道筋
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若宮八幡神社 -
北向地蔵
246号線を越えると古道筋が残っているようなので境川から離れる。確かに古道筋と思われるが、実はこの道は工場や倉庫の中を縫って行くように進む道で、消えなかったことが逆に不思議な道だ。想像するに246と八王子街道が交差する側の、業界にとっては一等地のわけで、かなり早くから工場が出来て道の整備が後回しになっていて結果残ったということではないか。本当に古道なのかと疑問にも感じられたが、今度は東名高速を潜ると、そのすぐ左手には若宮八幡宮があるので間違いが無いのである。ここから先は瀬谷地区で、境川の段丘の上部に沿ったかたちで古道らしさに溢れた道になる。やはり日蓮が1泊したという妙光寺を左手に進む。残念ながら牢場坂は位置不明で発見できずそのまま進む。右手に北向き地蔵があり、ここを右折する。養護学校があるのだが、ここから先の道の趣が何とも言えない。
■瀬谷銀行
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瀬谷銀行 -
まず驚かされるのが「瀬谷銀行」の存在だ。銀行自体は特に銀行だから「ビル」と言う訳でなく、昔ながらの地主の住宅のような門構えであるが、ポイントは何故ここに銀行があったのかということだろう。相模台地は桑の生産に適しており必然的に製糸業が盛んになり、この周辺には9つの工場があったそうだ。明治初期は製糸業は日本の最先端産業であり金の成る木であった訳で、地域が銀行を興した訳だ。輸出港である横浜が近かったことが相場等の様々な情報を手に入れやすくしたであろうし、そもそも近いことは経費ひとつとっても流通の大きなメリットでもある。まして、中世から鎌倉街道という道が整備されていたのである。恐らくこの瀬谷銀行が栄えていた時期は鎌倉街道は「絹の道」としてその機能を果たしていたのではなかろうか。
■瀬田の鎌倉街道
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大欅 -
今でもこの辺りの家は富裕そうな家が多く、道端には庚申塔や馬頭観音等が大切にされている。この先にある日枝神社の欅の巨木や徳善寺の様相も歴史の蓄積を感じさせてくれるものであった。
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西福寺 -
さて、徳善寺の山門前から大門小の脇を抜けて相鉄線を渡る。瀬谷の駅は意外と近い。真っ直ぐ進んで厚木街道を渡ると左手に西福寺と左馬神社がある。この辺りも庚申塔等の保存がしっかりなされ、緑多き古道筋だ。
<経路地図>