一部2018・5・5を含む

①熊野神社(久米川)~悲田処跡~東村山~府中街道~小平~玉川上水(鎌倉橋)~熊野神社(西恋ヶ窪)~伝鎌倉街道~分倍河原古戦場~②多摩川渡~関戸鎌倉街道~多摩ニュータウン~旧道~小野路

■多摩川を渡って

関戸橋からの多摩川

中河原で新府中街道に合流し関戸橋で多摩川を渡る。渡って右手に進んで、今度は大栗川を大栗橋で渡った先が古道筋だ。

■関戸宿

この辺りは新田軍と北条(泰家)軍が激しく争った所でもあり古戦場跡の表示がある。ということで北条が立て籠もったという天守台(関戸城)を目指す。道が分り難いので一旦大栗川を上流に向かい、聖蹟桜ヶ丘辺りから山登りとした。なかなかキツイ登りで、恥ずかしながら自転車を押して登ることになる。特に何がある訳ではないがここからの眺望は素晴らしく、戦略上相手の動きを知るには押さえておくべき場所だということは時を経て多摩ニュータウンとなっても理解できるところだ。

■ここも霞が関

思いのほか時間がかかり、あわてて古道筋に戻る。霞が関という関所だったようで、熊野神社のところにその表示がある。それにしてもこの通り沿いは何とも懐かしいような田舎の街のようで、バスが走っているせいで余計地方都市にいるような錯覚を覚える。 とは言え、多摩市役所脇を通り乞田の交差点から先は多摩ニュータウンそのものであり、古道の痕跡すら見いだせない。貝取神社は歴史があるようだが、とにかく高幅員の開発道路を一直線にひたすら登ることになる。そして時折降りて自転車を押すことになる。

■多摩ニュータウンの先・・・古道だ!

ようやく恵泉女学園に到着。ここを左に行くと小野路へ向かう古道となる。道が細くなり、それだけでも今迄を思えば「らしく」なるのだが、しばらく進むとまた左手に分かれる道がある。しかも未舗装。らしくでは無く本当の古道が残っているのだ。国分寺で行政が保存しているものとは違い「時を経て残っている古道」ということだ。森の中を小野路へと下る未舗装の細道が続く。もうこれだけでドキドキしてしまう。800年以上この道は道として機能してきたのだ。もちろん実際は1キロも無いのであっと言う間に自動車の通る道と交わってしまう訳だが、そこで待ち受けている街が「小野路」というのが何とも言えない自然の演出だ。恥ずかしながら今回訪れることになるまで小野路の存在すら知らなかったのだが。

■小野路を知る

小野路は鎌倉街道だけでなく、後日大山街道の宿であり、大山詣りで栄えただけでなく、幕末の開国後横浜港から輸出された生糸の流通路としても栄え、街道の街としてその命脈を保ってきた。今では住所が町田市と聞いて驚くが、丘陵の谷間の旧街道沿いには裕福そうな農家風の住宅が建ち並ぶ。車が通らなければひっそりとした昔ながらの町並みが保存されているかのようだ。小野神社で一服したが、高台で改めて街並みを一望できた次第。

<経路地図>