川口宿(鎌倉橋碑)~岩槻街道(国道122号)~鳩ヶ谷宿~日光御成街道~東川口~大門宿 自転車ダホン
古河に向かい川口宿を起点とする。荒川北側の小川に鎌倉橋が昭和の時代まで残っていた。今ではその橋の碑が南中の北側に。その先は街道筋が短いながら残り、永瀬家の門は当時の繁栄をうかがわせる。橋の碑の脇に鎌倉街道中道の説明の看板があるが、中道は基本的に時を経て日光御成街道として造り直されている。また、その道筋は高幅員の国道になっているケースも多い。もち論古道を訪ねる身としては少しでも往時を偲ばせてくれる雰囲気があればうれしいのだが、道としてはこうした形で延々と道であり続けられることは幸せなのだと思う。田舎の山間の道など、人がその用を捨て去ってしまえば、忽ちにして自然が道を覆い、あっと言う間にその痕跡さえ失ってしまうのだから。そういう意味では鎌倉街道は近代の造成で消えてしまった部分はあるにせよ、その役割を放棄して痕跡を失ってしまうケースは極稀である。
短い街道筋を抜けると錫杖寺だ。ここは徳川将軍が御成街道で日光に詣でる際の休憩所だったお寺。立派ではあるが古さは感じられない。ただお寺の片隅には街道沿いの馬頭観音等が並べられていた。ここから先はしばらく国道122号の岩槻街道を北上する。新芝川を渡りすぐに鳩ヶ谷市役所方面に右折。
見沼代用水を渡った先が鳩ヶ谷宿になり、さすがに鎌倉時代とはいかないが少し昔の富裕な古い建物が残っている。古道沿いは昔ながらの豊かな商店等が残っているケースが多い。どうせ訪ねるのなら貧乏臭くない方が良い。風情はあるが、道筋は整然と道路整備されている。店も新しい建築が目につくが、それなりに企業努力もしているようで流行っているカフェも発見した。左手にこんもりとした緑の森があったので立ち寄った。法性寺で樹齢500年以上の楠木の巨木がすごい。元々は太田道灌の建立とのこと。進む道は御成街道で自動車の交通量も少なく快適。すぐ脇の岩槻街道は大型がバンバン通るので別天地のよう。
古い神社仏閣も街道筋には多い。外環自動車道を潜ったすぐ先の右手に真乗院があり、ここの高野槇は立派。そのまま進むと東川口で武蔵野線を越える。463号線に突き当たるとここも日光御成街道。貝殻坂を豪快に下って、今日は大門宿の本陣を訪ねて終了とする。
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