二子玉川商店街~治太夫橋~瀬田玉川神社~用賀~大山通(弦巻)~世田谷城址公園・豪徳寺~羽根木公園~笹塚 自転車 トレック
懐かしのニコタマ
何ともう40年近く前になる。暇を持て余し住んでいた調布から冬の遠く澄んだ青い空の下、野川沿いをひたすら歩いていた。その時何を考えていたかは自身のことながら最早知る由もないが、鴨が川面を泳いでいるのを見るのが楽しくてしょうがなかった事は確かだ。しかも色々な種類の鴨がいた。雪国の地方都市で育った人間にとっては冬に川で水鳥が泳いでいる姿を見る経験が無く、少し驚いていたのだと思う。成城近辺は牧歌的ながら当時から洗練された雰囲気で「この辺はIVYリーグのキャンパスみたいじゃん。」と思っていたかも知れない。自身もBDシャツにスイングトップという出立だったような気もする。 街道とは関係の無い話だが、その時野川の河口で、たどり着いたのが兵庫島(公園)だったというのが落ちだ。だまし討ちにあった新田義興の家臣由良兵庫之助が舟で自害し、逆流で着いたのがここだった。田園都市線を潜り、兵庫島を背に二子玉川の商店街を北上する。高島屋や新しいショッピングモールの陰で目立たないが、落ち着いた良い商店街だ。先の話の頃は今ほど拡張されていない高島屋がドンと鎮座し、富士会館という建物があった記憶がある。兵庫島の公園が似合う街だった。 商店街から外れると旧六郷用水の一部であった丸子川を治太夫橋で渡る。上流の公園では蛍の飼育をしているらしい。
国分寺崖線を登る
川を渡ると急斜面。国分寺崖線だ。下るは気持ち良いが、登るは辛い。文系自転車を称する私の辞書には「登る」と言う言葉は余り無いのだ。見栄を張らず自転車を押して登る。途中で瀬戸玉川神社があり立ち寄ったが、道路からの勾配がすごく階段を登ること、登ること。その代り報酬もある。道路の反対側はなんとキリスト教の聖アントニオ神学院なのだが、そちら方面の景気は素晴らしい。道路を登り終えると、庚申塔も待ち構え、古道筋であることを実感させてくれる。
残る古道筋
環八を渡ってしばらく古道筋は残るが、用賀駅手前の田中橋辺りで一旦消える。用賀中町通を越えて復活。この道は旧大山街道筋でもある。住所は弦巻になり、勤務先の販売マンション「ラコルダ弦巻」が通沿いの角にあるが、熟成されて緑豊かな風格のあるマンションになっていた。それはそれとして道沿いには地蔵やら馬頭観音も屋根を付けてもらって残されていて、古道の雰囲気も醸し出している。そのまま幹線を渡りボロ市通りまで進む。
レッツ豪徳寺
この辺からの古道の位置は諸説あるようだ。芳賀先生もいろいろ考察されている。自身は便宜的に豪徳寺脇の道を選択した。何しろ「レッツ豪徳寺」という庄司陽子の漫画があったくらいだから、というのは冗談で、実は未だ豪徳寺へ足を運んだことがなかったからなのである。井伊直弼の墓で有名で彦根藩井伊家の菩提寺になっているが、元々は世田谷城主吉良家の開創である。当時の田舎、世田谷では数少ない「江戸名所図会」で紹介されている名所である。 実際落ち着いた雰囲気で、建物の維持管理もよろしく若いカップルの姿も目に付く。若い時に来ても良かったかと少し後悔した次第。 豪徳寺を抜けてからは時間の関係もあり慌ただしく笹塚へ。この辺りは再訪も検討したい。
<経路・東西回り共通>