将門の本拠地をドライブしてみた
2022年9月4日、野田の醤油帝国を探訪後に、あいみょんももっと聴きたいので利根川を渡って平将門の本拠地をドライブすることにした。
少し前から妙に将門に興味を引かれていた。そもそも「乱」の首謀者であるわけだし、「将門の首が東国に飛んで行った」という伝説があるように勇ましい印象が強い。大手町の首塚の呪い話がさらに印象を暗くしている。しかし、関東の豪族ではあるが皇族の血筋を引き、京での暮らしも長かったこと、京から領地に戻った後は叔父が領地を奪おうとしたため、争いで苦労が絶えなかったことを知った。意外や領地の経営に力を注いだ理性的な人だったようで、自身の認識不足を恥じた次第であった。
館のあった豊田を目指す。関東鉄道の石毛駅の近くである。そこまでの道のりはドライブとしても少々退屈かもしれない。何分真っ平らな平原を直線で進むのだから。思い切りあいみょんを堪能した。豊田のレプリカの天守台付のお城の脇を通り、駅脇の線路をクロスして鬼怒川を渡る。幹線から右折して地元の住人の生活道路を右往左往して鬼怒川の河原に到達。堤防に登れば筑波山が見えた。妙に嬉しかった。
■豊田館
河原から香取神社の前の道を左折して幹線を渡って細い道を進むと法輪寺という寺にあたる。ここが将門の父の本拠である豊田館の位置である。何が残っているわけではないのだが、写真の城図のレリーフは位置の把握に実に役にたつ。将門のレリーフはご愛敬だが、特に遺構があるわけでないので、これくらい無いとさまにならないのも事実だ。地勢は高く、鬼怒川が氾濫してもこの辺は水没しないことが良くわかる。
後で知ったが「土」で有名な長塚節の生家がこの近くであった。あのくどい文体で完読できず挫折した記憶が。でも、あそこに書かれていた大変な農業の様子がこの辺の地勢と妙に重なるものがある。
■国王神社
将門の本拠地「岩井」方面へ向かう。将門は大ムカデ退治で有名な藤原秀郷にこの地で討たれる。その場所に尼となった娘が後日建立したのがこの神社である。祭神はもちろん将門だ。朝廷にはむかった逆賊ではあるが、地域では大切にされている。
関東平野は広大な平地のため雷がすごいが、参道脇の木に雷が落ちたのだろう、燃えて黒焦げになっていた。すごい迫力。
■延命院
国王神社近く。ここには将門の胴塚がある。対象を勘違いして写真はなし。この門以外の建物は荒れている。
■菅生沼はどこだ
菅生沼を探したが入口がよくわからずうろうろした。ただこの辺が鬼怒川や小貝川にはさまれた湿地帯であることは良く分かった。現代になっても時折「想定外」の水害にみまわれる地域である。1000年前の領地経営はたいへんだったろう。そんな場所だから歴史的な遺構も少ない。ただ彼らが目指した豊饒で広大なな農地は、今達成されているようだ。