新潟で出雲を旅する2 2023・09・24
出雲崎~和島~与板~与板橋~信濃川沿い~中之島~見附市街へ。長岡駅前でレンタカーを返却して新幹線で帰宅する。
■出雲崎から「出雲田の庄」へ
出雲崎の乙茂の交差点から116号に出て和島村方面へ向かう。途中で右手に「夏子の酒」でも有名な久住酒造を見る。快適なドライブコースだ。トンネルを抜けて与板へ出て、信濃川を与板橋を渡って左折し、右岸の土手道へ。しばらくすると右手に広大な農地が広がる。この辺は出雲崎経由で出雲の人々が入植して、稲造りを伝えたとの伝承があるのだ。
■古くからの荘園
中之島を中心に見附、栄を南北10㌔のエリアが古くから荘園であったらしい。早稲田と千葉大(園芸)で千年村プロジェクトというものを開催しているが、そちらで位置を特定してくれている。信濃川右岸から刈谷田川を中心に広がる田圃の一帯である。もちろん土地改良等、農林水産省主導で田圃は近代的な区画になっていて、1級農道は軽飛行機なら離陸ができそうである。川も昔からは位置が変わっているだろう。
■刈谷川沿いの農村
先の写真の刈谷田川沿いの林の中は農村になっている。なかなか富裕な感じがして良い村である。住所は中之島。今は長岡市内だ。
■諏訪神社だらけ
3社はすべて諏訪神社。田圃のなかのこんもりとした林は下左の神社の遠景である。祭神までは調べていないが、諏訪湖畔の諏訪大社はもちろん出雲のタケミナカタであるので、出雲を強く感じさせる神社である。この他にも多数諏訪神社はあるようだ。
■市ノ坪の出雲神社
その名も出雲神社で、大国主を祭っていて出雲とのつながりを感じさせてくれる。中世の末期に建立され、その子孫が19代目として今も生存しているそうだ。また明治40年に、出雲の神である櫛御気野命を祭る熊野神社を合祀しているので、こちらも出雲ゆかりの人々の存在をうかがわせる。そして住所が市ノ坪。奈良時代の班田収授法実現のために、土地を政権が把握する必要にかられて条里制が導入された。一辺約109mの方形を1町とし、これを縦横6つ並べて大区画を造り、これを縦横にさらに連ねていく。そして大区画の位置を〇条〇里として表し、その中の方1町(全部で36町)の位置を〇ノ坪と呼んだ。なので市ノ坪は1の坪という位置を表していたものが、地名として残ったとも考えられるのだ。
■信濃川の右岸、信濃川の左岸
実はこの辺の景色が好きで、特に左岸経由で寺泊に行く道は、新潟在住の際には愛用の道であった。今回は旧三国街道も通ってみたのだが、「岩方」地区の説明板があり、寺泊の砂鉄を利用したと思われる製鉄遺跡があるとのこと。これは出雲の「たたら製鉄」ではないだろうかと、ますます出雲とのつながりを強く感じた次第だ。そして与板は刃物の町でもあるのだから偶然ではないものを感じた。