新潟で出雲を旅する1 2023・09・24
09・23長岡市呉服町(実家)へ帰省、ペンキ塗りその他。09・24ニッポンレンタカーでカローラを借りてドライブ。蔵王橋から与板経由信濃川沿い、岩方から旧三国街道、116号線乙茂交差点から井鼻方面へ。
■出雲崎へ
何故新潟で出雲か。実は出雲という地名が一番多いのが意外や新潟県なのだ。古代より山陰と高志(越)は日本海でつながっていて実は人の往来が盛んだったとのこと。そしてここは出雲崎。井鼻の久田海岸だ。出雲の神である大国主がここに流れ着いたという言い伝えがあり、海の向こうに薄っすらと見えるのは佐渡島。佐渡は訓読みすると「タスケワタス」になるのです。きっと大国主をここから渡したのだと思う。佐渡への距離もこの辺からが一番近い。
写真の左手階段奥が式内の石井(イワイ)神社。大国主を祭っている。本来はここから3㌔ほど北の久田の海岸近くの高台、十二株山(じゅうにとさん)に旧跡があったようだが、残念ながら場所が確認できず訪れることはできなかった。
■埼玉県民海を楽しむ
丘陵を抜けて高台から視界に海が目に入った時には思わず声を上げて、車を停めてしまった。冬こそ寺泊に蟹を買いに行くようなことはあっても、実は夏の海は久しぶり。9月も後半であるが、景色は十分に夏。ただ誰もいない海なので、今はもう「秋」なのかもしれませんが。
■日蓮が流罪の際に通った北国街道
流罪の際の日蓮の足跡は、鎌倉街道上道などには残るが、藤岡より先の行程は記述がなく推測となる。ただ、この腰掛石があるということは、三国街道経由ではなく、恐らくは直江津の国府に出て、海岸線沿いの北国街道で寺泊に出て、佐渡に渡ったことになる。ちなみに赦免されて戻る際は、風に流されて柏崎に着岸したようである。写真の常夜灯は昔は設置されておらず、価値に気付いたのか比較的最近設置されたようだ。言い忘れたが出雲崎は北国街道の「宿」である。
■やっぱり出雲崎といえば
良寛堂は海を背景にして実にロケーションが良い史跡だ。しかし良寛のことは広域的には地元の人でもあり「子供好きの欲のない坊さんで書に堪能」という認識はあるものの、踏み込んで調べたことはなかった。ここも海岸沿いを通り、スルーしていたのだ。この地は良寛の実家、回船問屋橘屋の一部で、家は代々の名主であり、そこの長子であったことを知った。そしてなにより良寛の父は先の石井神社の祀職を兼ねて、かつ石井神社は元々橘家の屋敷神であったとの伝承もある。ということは良寛は出雲系の血筋である可能性が極めて高いということである。つながるなあ。
■なんとか残る古い町並み
40年位前はこの辺は寂れた漁村というイメージが強かった。海沿いの道が出来る前は、家々が並ぶ狭い国道(北国街道だ)を車がビュンビュン走り抜けていた記憶がある。今はすっかり落ち着いた街になり、商店等はこの昔の家並みにあう外観で景観を合わせている。地元の人々も住んでいる所の価値に気付き始めたのだろう、地元の説明看板もきめ細かい。最近は田中角栄がもてはやされていて、一部同意する面もあるのだが、開発優先の時代にはそうした歴史を大切にするような価値観はもてなかったのだろうと思う。
■はやる道の駅
家並みがもうすぐ途切れようかという海岸線沿いに「越後出雲崎 天領の里」という道の駅がある。そうここは佐渡金山の金を運ぶ関係で幕府直轄の天領であったのだ。代官所も設けられていた。道の駅のロケーションはなかなかで、海岸沿いは休憩をとる人々で賑わっている。街道沿いの街並みとそぞろ歩きで連携できるようなコースがあれば良いなと思う。ちなみにこの少し先、写真右上の先には今は停止している柏崎原発がある。今のうちにのんびり散策したい。ずっとのんびりできれば最高だが。
■出雲の痕跡
海岸線の国道を井鼻方面に戻る。あいみょんを聴きながら海沿いを車で走らせれば何となく若返った気にもなる。もちろん錯覚だが。116号線に戻る交差点は「乙茂」で、おともと読む。近隣の地元の鎮守・宇奈具志神社は天菩比命(あめのほひのみこと)が祭神であるが、出雲大神の大国主のお供をしてこの地にきたので、この地名が残ったとの伝承がある。神々が上陸した際に、船を引き上げ囲ったのが「囲いの沢」との伝説である。この辺は谷内の形状が多い。