出雲 古代への旅 2024・8・10~11
2024/10/11 11:45松江しんじ湖温泉駅発の一畑電車で出雲大社を目指す。駅舎は冷房が効いていないので、早めに電車の中に入れてくれたおかげで涼めて助かった。そもそもが今回の旅行は「出雲と越」「出雲と奈良」の古代におけるその関係性への興味がベースになっている。
『島根県立 古代出雲歴史博物館』
出雲大社の神殿復元模型(平安期1/10)
あまりに現在の出雲大社と違うので俄かには信じがたいが、宇豆柱【重文】、心御柱【複製】と同じ館内に展示されているので確かなのであろう。写真右側の模型は、発掘の都度の復元想定模型が飾られ段々大きくなっていっているのが面白い。
荒神谷遺跡出土銅剣・銅矛(1984年発掘)
展示室を進むと左写真の光景が目の前に現れて驚くばかりである。酸性の強い日本の土は、鉄はすぐに錆びてしまうが、青銅は運が良ければこうした保存状態で発掘される。闘うための剣ではないので、こんなに大量に何の目的でというのが謎だ。もちろんすべて国宝。
銅鐸
左が荒神谷遺跡の銅鐸で右が加茂岩倉遺跡の銅鐸(1996年発掘)である。銅鐸は祭器と考えられ、朝鮮の馬につける鈴が日本で祭器になったとの説がある。埋納は両遺跡とも同時期で紀元1世紀頃と推定される。出雲王朝の存在が浮かび上がってくる。
左は加茂岩倉遺跡の銅鐸でウミガメが描かれている。生物が描かれているものが多い。右は意宇の岡田山1号古墳から出土の円頭太刀で「額田部臣」の記載が読み取れる
『出雲大社』
広大な敷地の中の参道をやさしく吹き抜ける風が心地よい。夏で南向きの拝殿は明るく開放的だ。そう、思いのほか厳かさがないのに驚く。ここは神々の社が並べられた博覧会のようだ。美保神社の方が古社の趣がある。建物も奈良の様に古いものでなく、造りも古代式でシンプルなものなのでそう感じてしまうのだろう。
『国府跡』(8/10)
意宇にありスサノオを祀った一宮である熊野神社や八重垣神社が近い。出雲の中心地だったと考えられる。県立博物館の発掘遺跡もすべて宍道湖の南側にあり、やはり出雲大社の位置は(ヤマト朝廷に)追い払われて、出雲族が何とかあの場所を確保したという感を強く持った。茶臼山の前の田は条里制をひいた時代からのものだという。